kyouna2022つれづれ日記

両親の介護を中心にいろいろなことを書いていきます。

遅れていた要介護認定通知がやっときた

遅れていた要介護度の認定結果がやっときた。
聞いていたとおり、要介護度は下がった。

この結果は本来ならうれしく、喜ばしいことなのだが、
要介護度が下がったということは、使える枠が狭くなったことを意味し、複雑な気持ちにもなる。

前回の認定は入院まもないころ。一番辛い状況での判定だったので、よくここまで頑張ってくれたと、母を誉めてあげなければならない。

いつも福祉関係の人には驚かれていた。
それだけ、判定と母の状態に開きがあった。専門家が驚くほどに母は回復していた。半身が動かず、車椅子生活をしている以外はごく一般的な高齢者に見えた。

今後どう変わっていくかはケアマネジャーと話しをしないとわからないが、
母は今の生活パターンを崩す気はないようだ。

そのおおらかさいいことだと思う。

1日でも長く、1日でも楽しく、日々生活できるようにサポートしていきたい。

お金のことと、母のしたいこと、両立はいつまでできるだろうか。

訪問リハビリ卒業の日

8月に退院してから8ヶ月、続けていた訪問リハビリが今日で終わる。

病院で訓練を積み、補助はありながらもある程度のことは一人でできるようになっていた母。
家に戻ってから安心して過ごせるだろうと思っていたけど、実際はそうではなかった。

よくよく考えれば当然で、病院の設備は整っている。
具合の悪い人、体の不自由な人を想定して作っている。

でも家はそうはいかない!

健常者が生活しやすいようにできている。
いくらバリアフリーとはいえ、手すりがついているとはいえ、健常者がもしもを想定して作った家は、何もかもが違っていた。

病院で訓練してできるようになっていたことが、全くできなくなった。
病院とは勝手が違う!

あまりの衝撃に不安しかなかった。
けど、週2回の訪問リハビリが入っていたのが頼みの綱だった。

病院からの専門スタッフのリハビリ、どうしたら母が快適に家で過ごせるようになるのか真剣に考えてくれた。

歩き方、立ち方、体の動かし方、繰り返し繰り返し優しく指導してくれていた。
その甲斐あって、以前より安心した見ていられるようになった。

気がつけば8ヶ月、次の段階に進む時が来た。

相変わらず右足は装具をつけなければならない。右手は動かないまま。
しかしやっと体の使い方に慣れてきたようだ。

週2回のリハビリがなかったらここまで来れなかっただろう。
ついてくれたスタッフの根気良い指導がなければここまで明るくならなかっただろう。

良いスタッフに恵まれて母は安心して家で過ごせるようになった。

訪問リハビリを卒業して、彼女たちに会えなくなるのは寂しいけど、次のステップに進めるのは彼女たちのおかげ、感謝しかない。

もう一つの幼い頃繰り返し見た夢

私は夢をみない。
寝つきもいいので、ベッドに入ると直ぐに目覚ましの音に起こされる。
時計を見ると時間は過ぎてきる。どうやら寝ているらしい。
寝ている気がしない。そんなことを悩んでいたこともあった。
でも、悩んでも仕方ないこと、諦めるしかないと思い、悩むのをやめた。

昔から夢を見ないのだが、それでも幼い頃繰り返し見た夢がもう一つある。

時代はよくわからない。
私は家の中、梁を駆け巡っていた。

楽しくはない。遊んでいるのではない。
追われている。
理由はわからない。とにかく逃げている。

梁から梁を飛び越え必死になって逃げているた。

ハッ!とした瞬間、私の目の前には銃口があった。

そして私は目が覚める。

誰に追われているのか、何故追われているのかは全くわからない。
ただただ必死で逃げ回り、銃口を目の前に突きつけられて終わる。

そんな同じ夢を見続けた。
目が覚めると決まって恐ろしかった。


あれも前世の記憶なんだろうか。

幼い頃に両親を亡くした私はどんな生活をしていたのだろう。
どんな人生を歩んだのだろう。

それが前世の記憶なのかすらわからない。
そんなことを考えても仕方がない。

ただ、普段は夢を見ない私が、この2つの夢は繰り返し繰り返し見ていた。

 

幾度目かのひな祭り

一年に一度、期間限定でしかお目見えしないので、なるべく長く眺めていたくて早めに飾るようにしている。
娘の苗字が変わって初めてのひな祭り。

あいかわらす飾るお手伝いはなかったけど、
片付けるお手伝いもないと思うけど、

私が気に入っているから毎年飾っている。

先日、イオンに行き、ひな人形🎎の飾っている売り場を通りかかった。

令和の時代のひな人形は実に可愛らしい。

お顔が白くない!色白だけど、自然な白さをしている。目も切れ長ではなく丸く大きい!

変わり雛も多く展示されていて楽しい売り場だった。

七段飾りは一つしか見当たらなかった。

一年に一度とはいえ出すのはなかなかの手間だ。

おひなさんは今日でお別れだと、母は寂しがっていた。

うちのは七段飾りなので、場所をとるけど、部屋は華やいでいる。片付いてしまうとガラーンとして寂しい。

次もまたきっと会えるよ!

ヤマザキ 期間限定チーズ蒸しケーキのいちご味

北海道チーズの蒸しケーキのいちご味、期間限定でスーパーに並んでいた。

期間限定とあれば、ついつい手を出してしまいます。

しかもチーズといちごなんて、おいしくないわけがない!

袋を開けたら、さっそくいちごの甘い香り!
甘酸っぱいいちごの味のやさしいケーキ!

やっぱりおいしい❗️安心して食べられる味。

スマホの待ち受け画面が変えられない

なないろのボールが画面いっぱいに広がっている。
それが私のスマホの待ち受け画面。
すごく気に入ってる写真なんだけど、これにしてから2年くらい経っている。

そろそろ変えたいなぁと思っていたので、変えてみた。

ところが
2、3日したらもとに戻っている。

間違えて触ってしまったのかなぁと、思いつつ変えた画面にしてみる。

でも、
またもとの画面に戻っている。

なんだこれは!

実際こんなことは初めて。
そもそも、スマホのカバーはブックタイプだから間違えて触ってしまうのは、なかなか考えにくい。

このカバーを使う前は、カバーをつけていなかった。それでもご操作なんてことはなかった。

しかも待ち受けにする画像は何種類かあるのに、戻るのは決まってなないろのボールが写っている画像。

3回目の変更はあきらめた。
もうこの画面でいい。

以前、なないろの花が描かれた名刺を持っていた。
スピリチュアルの先生に渡した時、すごくいい名刺だとほめられたことがあった。

名刺というより、なないろの花の絵のことを言っていた。

ご先祖さまが私のことを守っている。
すごくしっかり守ってますよ。
と、言って、涙を流していたのを思い出した。

だからというわけではないけど、
なんだか気に入ってこの画像を使っていたのも意味があるのかなぁ
なんて思いながら、

また、もとの画面に戻ったらなんか
ビビる。
スマホの待ち受け画面を変えるのは、あきらめることにした。

幼い頃繰り返し見た夢

私は夢を見ない。

ベッドに入り、目覚ましで起きる。
時々見ることはあっても、目が覚めたら忘れてる。
何か夢をみていたような気がするだけ。思い出せない。

小学生低学年のころだったか、いや、それ以前だったか、あまりにも頻繁に繰り返しみたのて、鮮明に記憶した夢がある。

そこは日本。いつの時代かわからない。
周りは広大な田んぼの中、大きなお墓が2つ、並んでたっている。周りにはお墓はない。

着物を着た幼い私が、ただただお墓にすがって泣いている。
おとうさん!おかあさん!
と言いながら泣きじゃくっている。

いつも同じ光景だった。
私は、いつもすがって泣いているだけの夢。

夢から覚めた私はいつも悲しかった。
涙を流している時もあった。

その夢は繰り返しみた。
いつも同じ光景の夢。高学年になる頃まで、くり返し繰り返しみていた。

今は見ることはないけど、あまりにも頻繁にみていたので、鮮明に脳裏に焼き付いている。

あれは、前世の記憶とでも言うのだろうか。
だとしたら、

幼くして両親を亡くした私は、その後どんな人生を送ってのだろうか。

子供は両親を選んで生まれてくると言うが、
私がこの両親を選んで生まれてきたことと、何か関係があるのだろうか。

あるワークショップに参加して、前世について聞かれた時、幼い頃繰り返し見続けた夢を思い出した。