kyouna2022つれづれ日記

両親の介護を中心にいろいろなことを書いていきます。

父の転院で思い出したこと

車の後部座席には父と母、天気に恵まれ穏やかな日だった。始めて訪れる病院に迷いながら車を走らせていた。

久しぶりの父との会話。母の声はハリがあり感情も乗っていた。

 

令和4年2月22日、母が転院した日。

 

脳梗塞で緊急入院してから1ヶ月半が経っていた。

その日の天気予報は雪だった。半身の自由が効かない母の車の乗り降りが心配だった。

 

朝、天気予報どおり雪が降っていた。

この日は特別に病室に入ることが許された。

右手、右足が動かなくなった母、状況は聞いていたが、その姿を見るのは初めてだった。

 

ベッドの半分から下に小さく横たわっていた。

ショックだった。

惨めだった。悲しかった。

1ヶ月半、長かった。

 

病院から出て車に乗せた。

雪は止んで、晴れていた。車に入り込む日差しは暑いくらいだった。

退院と言うより救出!そんな気がしていた。

 

転院先の病院に着き、母の入院手続きをしている時間も暖かい日差しが差し込み、ホッとした気持ちだった。

 

一旦家に戻り、医師の話しを聴くために再び病院に戻った。空は曇り雨が降っていた。

母が転院のため、移動していた時間だけ晴れ、暖かかった。

 

守られているようだった。

 

 

 

畑仕事で鍛えた85歳、今日は父の転院日

晴れ。ここ最近の雨模様の天気から一転、暖かく穏やかな日。雨じゃなくて良かった。

 

迎えに行った父は車椅子姿で現れた。元気そう。

2週間もの間人工呼吸器に繋がれ、生死を彷徨った人とは思えないほどの回復ぶりだ。

話す声もしっかりしている。

車椅子で病院の外に出た。

車に乗り移る動作が心配。

どれくらい自分の力が入るのだろう。

 

ドアが開いた瞬間、父は自分の力で立ち上がり、車に乗り込んだ。

 

あっけに取られた!

なんて回復力だ!

 

付き添いで行った家族の心配をよそに、父は家に帰るのか。とも言った。

リハビリのために病院に行くと告げると、残念がった。

 

看取りを宣告されていたはずの人だった。

 

転院先の病院での動作確認でも問題はなかった。

調査をした時より、だいぶ回復しているようだ。

本当に帰ってもいいみたい。

でも入院が決定しているから入院はする。

そういうものだ。

 

全身に検査をして合格したら退院も早くなるのかな。

でも、1ヵ月は入院してもらうと言われた。そういうものらしい。

母の元気の源は父の存在だった

夕方は涼しくなってきたので、母を誘ってる庭に出ることにした。

以前は誘っても嫌がっていたのに、今日は私が言い出すのを待っていた。

 

父が入院してから母は声にハリがなくなり、認知症が進んだようだった。しかし命を取り止め、リハビリを始めていることを告げると、まだ転院も決まっていないのに、父が転院する時に着る服をタンスから引っ張り出し準備を始めた。

 

再び声に感情が乗り、元気になった。

あいかわらずテレビはみないが、ラジオを聴きたいと言い、自分でラジオを動かしはじめた。

まだ少ないが1人でいる時間を嫌がらなくなった。

 

まだ、元気なころは凄くしっかりしていて、母のほうが父を引っ張っていっているかのように思っていた。

いわゆる、カカア天下の家庭だと思っていた。でも実は、母は父に頼っていた。

よく働くし、よくしゃべるし、しっかり者だからそんな風に見えていただけだった。

 

父がリハビリを頑張っていることを知ったは、気力を取り戻した。

立って支えられながら玄関の階段を降りる母、車椅子に座って外の様子を眺める母、力強く話す母。父の存在が、こんなにも母を安定させていることにあらためて気づいた。

 

あとどのくらいあるのかわからない時間を穏やかに過ごしてほしいと思う。

 

捨てなくてよかった

焼酎のパックは未開封だった。

 

買って来たその夜、父の呼吸はおかしくなり救急車で病院に運ばれた。

 

人工呼吸器に繋がれ2週間、医師からは緩和ケアを勧められ家族は覚悟した。

 

家の中を片づけていたら、未開封の焼酎を発見した。

 

誰も飲まないから捨ててしまおう!

 

母に相談した。

 

母は、それでもまだ、タイムリミットまでには日にちがあるから、それまではとっておこう。

と、言った。

 

今はなんとか人工呼吸器の管ははずれ、少し動けるまでに回復しているようだ。

 

昨日、再び未開封の焼酎の話題になった。

あの時、捨てなくて良かったね。と、母が言った。

リハビリを始められる段階にまで回復してきている父に、笑い話として話せる日が早く来るといいな。

 

病院で体力奪われた!?

母の血液検査日。

予約時間の1時間前に行き、採血して検査をし予約時間に結果を聴く。

月に1回の検査の3回目、今回は父がいなかったので付き添いは私ひとりだった。

慣れた工程、予約時間どおりの診察時間、会計、そして予想した通り薬を受け取る時間は長がった。

 

長い待ち時間に母はしびれを切らし、散歩してくると行って行ってしまった。

 

しかし、高齢の女性が車椅子でウロウロ徘徊する姿は、病院側のスタッフから見たら危なっかしかったようで、すぐに、どちらへ行かれるんですか❓と、追いかけてきた人に声をかけられた言って早々に戻ってきた。

 

なんと答えたか聞いたところ、暇だから散歩していると言ったそうだ。

親切に声をかけてくれたスタッフはどんな顔をしただろう...

想像するとおかしくなる(笑)

そんなこともありつつ、待ち時間45分を過ごして薬を受け取り家にたどり着いた。

 

9時半に家を出て、14時になろうとしている。

 

疲れた。

 

普段昼寝をしない私がソファでうたた寝をした。

 

母は私が起きるまで時間を潰して待っていた。まだまだ母親、感謝。

緊急入院からひとつき

8月も長かったけど、9月も負けないくらい長かった。

衝撃の緊急入院からひと月、車を運転すると頭の中で鳴り響いていた救急車のサイレンの音はいつしか聞こえなくなっていた。

父が一命を取り止め、リハビリの段階に入ったからなのか、いつの間にか止んでいた。

85才の年齢で人工呼吸器に繋がれた状態で2週間、管が抜けたのは奇跡だった。更に2週間が経った今、点滴を吊るす棒を支えに自分の脚で歩いているらしい。食事をできているようだ。

面会できれば励ましに行ってあげられるのに、回復ももっと早いだろうに...

毎日畑に通って作業をしていたからなのだろうか、素晴らしい大力だ。

元の姿に戻ってほしいとはいわない。元気になって、おだやかな余生を過ごしてほしいと思う。

 

 

ひとりばえ冬瓜の美味しい食べ方?

冬瓜は味がない。なのでどんな味にも染まる。

王道は鶏ひき肉と煮て、優しい味に仕上げる事でしょうか。

大量にひとりばえした冬瓜の料理方法に困っていた所、知り合いに美味しい料理方法を教えていただきました。

 

冬瓜を透き通るまで茹でて、別に用意した白だしの中に漬け込み冷やすだけ、白だしの中にはオクラ、しょうが、カニカマを入れるのだそうです。

凄く美味しかったというので、さっそくスーパーに足りない材料を買いに行ったのですが、オクラが売ってなく、代わりに白ネギを入れることにしました。

 

いきなりのアレンジになってしまった。

 

ネギは漬け込む前に火を通したい、胡麻油を使いたくなり炒めることに、いい香りがしてきたら濃いめの白だしを入れ、カニカマを散らしてスープを作り、その中に冬瓜をいれて完成。気がついたら知り合いから聞いたレシピはどこへやら...

でも美味しい出来上がったのでまぁいいかな。

 

次回オクラがあったら、きちんと作ることにしました。